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田端義夫 病気 肺炎で死去!70歳でも夜は現役だった?【画像】 [時事]

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田端義夫 病気

70歳を過ぎても「夜の方は現役」と豪語していた
田端義夫さんが病気・肺炎で死去しました。94歳でした。


田端義夫さんは「バタヤン」の愛称とギターで親しまれ、
胸のあたりにギターを抱え、「オース!」と威勢よくアイサツする姿が、
とても印象的で気さくな方でしたね。


そんな、田端義夫さんをリサーチしてみます。







まずは、田端義夫・バタヤンの簡単なプロフィールから

バタヤン ギター
本名:田畑 義夫(たばた よしお)
別名:バタヤン
生年月日:1919年1月1日(満94歳没)
出生地:三重県松坂市
学歴:小学校3年で中退
職業:演歌歌手








田端義夫さんは、3歳のときお父さんを亡くしています。
トラコーマにかかって右目の視力がなかったんですね。


当時、ディック・ミネのギターを持ちながら歌うステージに感動し、
徐々に音楽の世界に入っていったようです。


お金がなかった田端義夫さんは、板切れでギターを自作して、
河原で練習したとか。


その音の出ないギターの名前は「イタ―」というそうです。
昭和10年ごろのお話です。





その後、アマチュア歌謡コンクールに出場して優勝。
鈴木幾三郎社長宅の書生となっています。


この鈴木宅にいた書生が「オース!」と挨拶することから、
田端義夫さんのトレードマークのアイサツが生まれたそうです。


昭和21年に「かえり船」が大ヒットとなり、
その後、数々のヒット曲を残していますね。


NHK紅白歌合戦に初出場したのは、昭和38年。
「島育ち」が大ヒットした年ですね。


90歳の誕生日に、歌手生活70周年を兼ねた
記念アルバムを発売し、田端健在をアピールしました。


田端義夫 歌





田端義夫さんのエピソード

「かえり船」がヒットしたころ、大阪駅で曲が流れていて、
それを聞いた人が涙を流していたそうです。


それを見た田端さんが「俺の歌で涙を流してくれるんだ」と
感動し、歌手をやっていてよかったと思ったそうです。


「かえり船」を聞いたことがありませんが、
当時としては、心にしみる曲だったのでしょうね。






次は、有名ですよね、ラスベガス事件。


1979年に旅行でラスベガスに行ったとき、
スロットルで29万ドルを当て、日米で話題になりましたものね。


当時の日本円にして6400万円ですからね。
でも、ほとんど税金で持っていかれ、手元には残らなかったそうです。






田端義夫さんは、女性もお好きだったようですね。
4度結婚して3度離婚しています。


70歳を過ぎたころでも夜の方は現役だったそうで、
田端さんが61歳のときにも子供が誕生しています。


70歳で現役だったとは、おそれいりました。






1984年には、ヘルペスにかかってしまい、その治療にも失敗し、
一時は、下半身不随の状態にまでなってしまいましたが、
リハビリで奇跡的に回復したそうです。


でも、晩年まで後遺症の痛みがあったそうですよ。
今回、肺炎によりお亡くなりになった田端義夫さん。


ご冥福をお祈りいたします。

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